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怠慢という不治の病に罹り 滅亡へ向かう行進をやめない彼の 明日はどっちだ
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今回は、大持山の肩から下山までを取り上げます。
大した内容ではないはずなのですが、随分と時間がかかってしまいました。


大持山の肩に辿り着いたとき、身体はかなりボロボロの状態でした。しかしここで人と話して、武甲山まで歩ききるというモチベーションが復活すると、それに合わすように身体も復活していきました。まだまだ自分の体のことも良くわからないのだな、と実感した瞬間でした。

この時点での水の残量は、1Lとなっていました。 とうとう1.5Lあったアクエリアスも全て飲み切り、のこりはすべて真水です。 チョコレートもほとんど食べきり、ウィダーもウノタワでの休憩中に飲み干してしまいました。残るカロリー源は数個ある塩飴のみとなりました。 しかし、これから日が暮れて気温が下がるため、水分の摂取量は減るでしょう。さらにここからは、おもな行程が下山となるので、この残量でも持つと判断しました。
15:04に登山続行の判断をして、荷物をすべて背負って大持山山頂へと発ちました。



15:11 大持山山頂(1294m)

大持山の肩から標高差はおよそ50m、約7分で山頂に到着です。坂道はそこそこ急でしたが、鳥坂峠前後の道に比べれば穏やかな道です。山頂は樹林帯で、展望はほとんどありません。ですが、有間山のタタラの頭や橋小屋の頭に比べれば開放感はあります。
先ほど十分な休息をとったうえ、気力が持ち直していたので、ここはすぐに通過しました。



ここから小持山までの区間は、距離はないもののすこし険しい区間に入ります。これまでほとんど現れなかった岩場歩きとなるのです。疲労した状態での岩場歩きは、滑落遭難の要因となり推奨されない行動ですが、これまでにはなかった場面への転換に気分は高まり、足はどんどん進みました。どうやらこの区間に、西側の両神山にかけてがよく見える岩があるそうですが、気付かずに通過してしまいました。ちなみに、数カ所ある岩場は雨天下や凍結しないかぎりはまったく難しくありません。
標高差でいえば、標高約1205mの鞍部まで下り、1273mの小持山まで登り返すことになりますので、だいたい下り90m登り70mです。ですが子持山の手前にはやはり小ピークがいくつかあり、その頂上に立つたびにやきもきさせられました。



15:38 小持山山頂(1273m)

精神は復活してそれにつられて身体もある程度復調しましたが、やはり疲労は溜まっていたようです。小持山山頂手前では、何もないところで何度かつまづきそうになりました。
ここも灌木に囲まれてそれほど展望がありませんが、周りに大木が少ないためか開けていて小気味良い庭園の風情があります。



ここからは、正面に武甲山の姿を見ることができます。いつも秩父盆地から見上げる採石場としての武甲山でなく、(人工林であるものの)旧来の自然が残る武甲山です。大規模な採掘が始まる昭和中期までは、秩父盆地からもこのような山が眺められたことが、絵葉書や写真にいくつも残っています。
武甲山の向こうにはもはや尾根は無く、秩父盆地から関東平野に続く「空」が感じられ、まるで大海原に突き出る岬のように思えました。武甲山こそが秩父と飯能を隔てる稜線の終点となり、今回の長い長い山歩きの終点になるのです。これまでは大持山と小持山に遮られて見えなかった終点が、ここまで来てやっと見えたところに安堵するとともに、誇らしい気分にもなりました。 もし大持山の肩から下山していた場合、この山をこの気持ちで眺めることはできなかったでしょう。むしろ目をそむけ続けていたに違いありません。
小持山にはベンチなどはないので地べたに腰を下ろし、15:45に出発しました。


 
小持山から「シラジクボ」と呼ばれる鞍部を経て武甲山に至る、尾根歩き最後の区間です。シラジクボまでは、いくつかの小ピークを踏みながら下り、シラジクボから武甲山までは男らしい一本道の直登です。最後の最後に余計なもののない直登を持ってきたのは、このルートの良心なのかもしれません。
シラジクボの標高は約1065m、武甲山は1304mなので、おおよそ下り210m、登り240mとなります。登らなければならない高さも、とうとう東京都庁(243m)より少なくなりました。あまり嬉しくない例えですね。
ともかく、小持山を出ると武甲山を眺めながらやや急な下り坂を進んでいきます。

一度大きく下ると、もうシラジクボまでは大きなアップダウンがありません。このあたりは、麓の一の鳥居にクルマを停めて大持山と武甲山を周回するハイカーがかなり多いので、道も踏み均されている印象があります。あとは今までどおり小ピークをいくつか超えながら、ゆるゆるとシラジクボに至るのかと思ったら・・・。



巻いた!とうとう登山道が小ピークを巻きました(感涙)
林道に逃げられる仁田山を除くと、これより前に明瞭に尾根を巻いたと分かる地点は・・・踊平の先でしょうか。はるか昔のことに感じられます。
登山者の多さと登山道の整備具合は、やはりある程度正比例するのでしょうかね。



16:10 シラジクボ(標高約1065m)
歩きやすい道を進んでいくと、シラジクボに到着です。現地の道標には標高1088mとありますが、地理院地図を見ると1088mの水準点は現在地からひとつ南の小ピークに打ってあり、シラジクボ(表記はなし)の標高は約1065mだと思われます。ひょっとしたら水準点のある小ピークのことをシラジクボと読んで、今いる鞍部は名無しの鞍部なのかもしれませんが、どちらにしても道標の表記は誤解を招いてしまいそうです。20m程度の違いですが、登山者は標高を気にする人が自分を含めて多いので、ここは気になりました。累積標高も変わりますしね。

シラジクボは十字路になっており、持山寺跡を経て一の鳥居に下ることも、長者屋敷の頭に下ることもできます。長者屋敷の頭は、武甲山から浦山口駅への下山の際に通る予定なので、ここでもルートのショートカットができます。しかし、ここまで来たら武甲山に登らない手はありません。性格上ここまで来てしまったら、日が暮れても登っていたことでしょう。
ですが、これならどうやら明るいうちに武甲山山頂に立つことができそうです。正直なところ、武甲山まで到達できても明るいうちに到達できるかは相当怪しいと考えていたので、安心しました。日が長い時期だからできる芸当だと思いました。(秋から冬だと気温が低いので水の消費量が減り、軽量化できるのでペースが上げられるかもしれませんが、リスクは高いです)

明るいうちに着けることが分かり、もう急ぐことはありません。最後の登りに備えて、じっくりと足を休めました。塩飴を舐めて、16:19に出発しました。



最後の登りです。下山路である裏参道に、登り返しがほぼないことは知っていました。今回のルートはほとんどが初見のルートでしたが、川苔山と武甲山についてはそれ以前に登ったことのある山でした。最後の登りを噛み締めながら登ります。

バイケイソウの生い茂る道を登って行くと、すぐに急坂になります。何度か緩斜面を挟みつつも下り返すことはなく、そのまま山頂手前まで上り詰めます。半ば無理だと諦めてた川苔山から武甲山への日帰り縦走が、いよいよ達成目前であることに気分は高まり、山頂手前までの標高差約200mをわずか20分程度で登り切っていました。一体疲労とは何だったのでしょう。もしかしたらアドレナリンというものが出ていたのかもしれません。人体の神秘です。



16:43 武甲山御嶽神社(標高約1280m)
とうとう今回の縦走の終点、武甲山の山頂に到着しました。
武甲山の山頂部は南北に広がっており、南には公衆トイレや休憩舎、中央部に御嶽神社、北端に三角点と展望台があります。もちろん誰もいませんでした。
この御嶽神社は、もともと北に数十メートル離れたところに鎮座していたのですが、石灰石採掘に伴い山頂部が削られる際に移転したそうです。もともとの山頂は標高1336mあり、現在の標高より32mも高いものでした。古い地形図や写真を参照すると、現在の神社から北東方向にさらに尾根が続いており、当時の山頂は植物も生えておらず見晴らしがよく、高山の趣があったことが分かります。この山頂が立入禁止になったのは1979年5月のことで、1日に数千人の登山者が登頂し山頂は大混雑だったそうです。同年9月に山頂部が爆破、三角点も移設され、標高は1295mになりました。しかしその後再調査の結果、山頂部の最高地点は1304mであることが分かり、その地点には水準点が設置され現在の標高に改められた・・・という経緯があります。



神社で無事に縦走ができたことへのお礼と無事に下山できることを祈願し、展望台に向かいます。いままで何度か武甲山には登ったものの、いつも第2展望台は素通りしてきたのですが、今回はまずそちらに向かいます。さて、どのような展望があるのでしょう。
途中には鐘つき堂がありますが、撞木がないので撞くことができませんでした。このすぐ裏手に移設された武甲山の三角点がある・・・とのことでしたが、これを知ったのは今回の山行の後だったので、タッチもできていませんし写真も撮れていません。次回登った時の宿題になりそうです。



第2展望台は木立に遮られ、思ったほどの展望は得られませんでした。丸山から堂平山、つまり北東方向が見えるかな・・・という具合です。東側の展望は、ここより大持山の肩のほうがずっと優れているのが現状です。見える景色もほとんど変わりませんからね。
それよりも興味深いのが、ここから柵の向こう側に降りていく階段です。これは採石場に繋がっており、そこからトンネル経由で麓まで車で降りることができるそうです。御嶽神社の神事の際は、神職の方はこのルートで上がってこられる・・・という噂はありますが確かではありません。登山関係なしに、採石場の中を貫くトンネルは一度通ってみたいものです。
消えた山頂はこの向こう側にあったはずですが、今ではその名残は何も残っていません。

第2展望台には座れる場所もなく、思ったより居心地が良くなかったので第1展望台に移動します。第1展望台には山頂を示す標識もあり、一端の山頂らしくあります。
その途中には1304mの水準点があるそうですが、柵を超えないとそれを見ることが出来ません。まあ、最高地点が踏めない山はゴマンとあります(浅間山とか草津白根山とか)ので仕方ないのですが。




16:48 武甲山頂(標高1304m)到着
大縦走の終点です。これより先に進む尾根はありません。眼下には秩父盆地が広がっており、何度見ても感慨深い眺めですが、今回はそれもひとしおです。誰も居ない山頂で、思わず歓喜の叫び声を上げました。



本当ならここから筑波、高原、日光、上越国境、浅間、八ヶ岳、奥秩父、さらには北アルプスも望む事ができるそうですが、もう贅沢は言いません。これに近い眺めは、以前冬に登頂した丸山から堪能できていますので、それほど展望に対する欲はありませんでした。まあ初冬にでもまた三角点の件と併せて登ってみたいものです。
秩父の街は日暮れを示す橙色のベールに包まれており、どこか気だるい雰囲気を出しています。天気が急変することもなく晴天のまま1日を過ごせたのは幸運でした。



山頂の標識の根本には、このような石の標柱があります。三角点の類と見間違えそうになりますが、これは記念碑のようなものです。ここに刻まれた『1336-41+9』は、先に述べた武甲山の標高の変遷を意味しています。その隣にある、誰かの手作りらしいプラカードには、『2015年9月13日午後12時30分に武甲山に黙祷』云々とありますが、どうやら「ありがとう武甲山の会」というかつての武甲山を懐かしむ会があり、それに関連するプラカードのようです。公共の山頂にこのような個人的なものを設置(放置?)することは、いかがなものかと思うのですが、どうなのでしょうか・・・。撤去されてないからいいのかな?



岩に腰掛けると、やはり通常の山では体験できないほどの疲労感がやってきました。このままじっとしていると、再び立ち上がることが出来なくなってしまいそうです。しかしここは縦走の終点といえどいまだ山頂、向かうべき人里はまだ1000mの高低差の向こう側です。現在時刻は17時前、この日のさいたまの日没時刻が18:42だったので、あと1時間50分で闇に閉ざされていまいます。ここからは歩いたことのある道といえど、疲労した状態で夜の登山道を歩くことはかなり危険なことです。短いですが沢沿いを歩く場面もあり、そこで滑落したらどのようなことになるか分かりません。幸いそのことに思いが回り、なんとか立ち上がることができました。

ここからの下山路は、山頂から西に進んで長者屋敷の頭という地点を経由し、そこからしばらく尾根を西へ、標高約800m地点から一気に下降し沢を渡って林道橋立線の終点へ。終点からは浦山口駅まで3km少々の車道歩きです。林道の終点まで地図コースタイムで1時間30分、前回歩いたときはアイゼンの脱着含めて1時間40分で下っています。林道まで降りてしまえば、暗くなっても大丈夫です。さらに今日みたいな快晴の日は、日没から15分程度はまだ何とか明るいものです。

・・・明るいうちに林道に降りたい! 下山です!



山頂で16分休憩し、17:04に下山を開始しました。日没まであと1時間38分です。
一般的に登山では、登りは体力、下りはバランス力が必要だとされますが、とんでもない、自分にとっては下りのほうが制御をとるのに体力を使ってしまいます。道自体は岩や木の根も少なく下りやすい状態が続きますが、それでも足がふらつきます。高度計と地図を見るたびに、「まだこれしか下っていないのか」と苦しい時間が続きます。
とうとう手足の末端が痺れてきました。これは紛れも無い脱水の症状です。目元が霞んできて、頭がぼんやりとしてきます。思考能力も低下してきました。完全に脱水状態でした。




17:38 長者屋敷の頭(標高約975m)
這々の体で、長者屋敷の頭に到着しました。ここは「頭」ですが、ただの尾根筋の傾斜が緩んだ場所であり登り返しはありません。ここでシラジクボから武甲山を巻く道と合流します。かつてここから武甲山の北面に向かう道が延びていたそうですが、道の入口には「廃道」という看板が通せんぼしています。
ベンチなどありませんが、構わず地べたにへたり込みます。すぐさま残っていた水を飲んで、塩飴を3個口に入れて噛み砕きました。このときは「塩分不足によって痺れが来ている」と考えていたので、水よりもむしろ塩分を摂ることを重視していましたが、実際は水分も全然足りていなかったのです。それでも、10分も休んでいると痺れが無くなってきたので、急いで立ち上がり、17:50には歩き始めました。日暮れはもうすぐです。



長者屋敷の頭からは尾根に乗り、ゆるやかに西に向かいます。ここは急げる区間なので、無理やり早足になって進みました。やがて左手に植林が現れると、左に折れて尾根から外れます。ここからは沢筋まで一気に約200m下降します。うんざりするほどのつづら折りが続きますが、道自体はそれほど悪くありません。鳥坂峠への下りよりはずっと歩きやすいです。
それでも下っていると、明らかに暗くなってきているのが分かります。ただでさえ樹林帯の中で暗い上に、太陽は早々に西の山に沈んてしまったのです。日没時刻は18:42ですが、秩父の山中ではそれよりもずっと早くに日没を迎えてしまいました。焦りますが、下りなので慎重に足を運ばなければいけません。



沢筋に出て、シラジクボから沢沿いに降りる道(通行止でした)と合流します。ここから沢を左に見ながらゆるやかに下って行くと、木橋で沢(橋立川)を超えます。もともとはこれより立派な橋が掛かっていたようですが落とされており、いまでは橋台のみが残っています。



18:33 林道橋立線終点(標高約510m)
橋を渡って川の南岸を進み、今度は手すり付きの立派な橋を渡ると林道の終点です。日はすでに沈んでおり、見上げる空には星が見え始めていました。
しかし、これでひとまずは明るいうちに安全圏に脱出できたことになります。たまらず林道脇の草むらに寝っ転がりました。再び脱水の症状が出ていたので、残りの水をすべて飲み干し、さらに塩飴を舐めました。これだけ塩飴に助けられた日は、今までありませんでした。炭水化物をほとんど取っていないのに、よくここまで歩ききれたなと自分をほめているうちに、急に意識が遠のいていきました。



・・・ものの10分ほどですが、意識を失っていたようです。
ですが痺れは消えています。ここはもう安全圏ですが、ここにいる限り家に帰ることはできません。18:45に歩き出しました。
ヘッドライトを付けると視界が極端に狭くなるので、まだ使いません。出来る限り暗闇に目を慣らしながら進みます。月明かりはないのですが、意外と夜でも前は見えるのもので、轍に足を取られないように慎重に未舗装の林道を歩いてきました。途中、ヘアピンカーブを超えて橋立川を渡り川の右岸に出たあたりで完全に夜になりましたが、ライトは点けませんでした。
そのうちに集落の中に入り、舗装路となり、暗闇の中に不気味なシルエットを作る橋立鍾乳洞の断崖を右に見ながら進んでいき、県道の橋をくぐってやや細い道を進むと、ようやく駅が見えてきました。奥多摩から秩父まで1日で歩き通すという目標を、とうとう成し遂げたのです。

線路をくぐる手前の道路脇に水が勢い良く湧いており、ご丁寧に柄杓までありました。迷わずかぶりつき、続いて手を顔を洗い流し、タオルも絞りました。武甲山の石灰岩でろ過された、癖のない冷たい水でした。



19:35 浦山口駅(標高約247m)到着
鳩ノ巣駅を出発してから13時間35分で、今回の山行の終点、秩父鉄道浦山口駅に到着しました。
切符を購入したら、まずは電車の時刻の確認です。次の電車は20:08の羽生行き、30分以上来ませんが、着替えて一息つくにはちょうどいい長さでしょう。どうでもいいですが、秩父鉄道はいまとなりの影森でほとんどの運用が分断されているみたいですね。もちろん不便だなとも思いますが、なにより影森~三峰口の廃止の布石でなければいいのですが・・・。

このあと御花畑駅で下車、西武秩父駅へは徒歩5分の連絡ですが、この時は(執筆現在も)リニューアル工事中で少し遠回りをされられました。西武秩父駅はこのリニューアル工事によって、温泉施設ができるそうです。秩父は全体的に駅から徒歩圏にある温泉施設が不足しているので、これはありがたいですね。
西武秩父からは西武秩父線、池袋線と乗り継いで帰宅しました。
今日一日の行程を車内で反芻していると、深い眠りに落ちていました。

ちなみに、国分寺駅に停めていた自転車は後日回収しに行きました。


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推敲もせず長々と書いてしまいました。
カシミール3Dで今回の行程を地図にプロットしたところ、

沿面距離 28.1km
累積標高 登り2672m 下り2747m

という結果でした。昭文社の「山と高原地図」では12時間50分の道のりだそうです。
実際は休憩込みで13時間半で歩いてますから、これが今後のロングトレイルの目安になりそうです。これだけの距離も標高差も1日では歩いたことが無かったので、正直自信がつきました(笑)
ロングトレイルで次なる目標は三頭山~高尾山の笹尾根日帰り、ゆくゆくは甲斐駒ケ岳黒戸尾根や、剱岳早月尾根も日帰りで制覇してみたい・・・と思うようになってしまいました。甲斐駒や剱はともかく、笹尾根は涼しくなったら挑戦してみたいですね。今回の尾根よりなだらかだと聞きますし、正直陣馬山から先は暗くなっても歩けると思うので・・・。


だらだらと書いていたら、今回の一連の記事の文字数が22000字を超えてしまいました。
原稿用紙なら55枚ぶんですが、これ推敲すると半分以下に削れそうですね(笑)

ここまで飽きずに読んでくださった方も、流し読みの方も、ありがとうございました。

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最後に感想を。
奥武蔵から秩父の山域は、基本暑い時期に歩くものではないと再確認。
距離30キロ、累積標高2500m超の山は(条件が良ければ)日帰りで歩くことができる。
身体の調子は精神に左右されるところが非常に多い。
人との交流の重要さを改めて感じた。
水分は摂りすぎるということは無い(至言)


そしてなによりも・・・

し ん ど か っ た


(終わり)

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HN:
怠慢仙人
HP:
性別:
男性
趣味:
旅行/登山/絵描き
自己紹介:
武蔵野は 月の入るべき 山もなし 草より出でて 草にこそ入れ

原野の武蔵野は知りませんが、武蔵野に生まれ育ち離れたこともないため、そろそろDNAに原野の記憶が刻み込まれそうです。
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