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怠慢という不治の病に罹り 滅亡へ向かう行進をやめない彼の 明日はどっちだ
* admin *
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突然だが、私は漫画を描いている。

私が漫画を描き始めたのは小学校に入るころだった。
親しい動物をキャラクターとして、コマや演出など関係なしに、A4の裏紙に落ちもないストーリーを作っていった。
漫画を描き始めたころ、同じく没頭していたのが、架空の地図を作ることだった。
やはりA4の裏紙に、架空の鉄道会社をつくり、路線図と車両を描いた。
当時の私は決して人間を描こうとはしなかった。人間嫌いとまでは言わないけれど、とても内向的で、友人との遊びよりもひとり地図と漫画遊びに耽った。
ほんの一部の親族や友人を除いて、他人が怖かった。早生まれで身体が小さいこともあったかもしれない。自分を前に出すことができず、出す気も起らなかった。

中学校に入り、その学校は運動部への加入が義務であったので、私は陸上部に入った。
そこは他の部活を選ばなかった生徒が選ぶ部で、それほどモチベーションの高い場所ではなかったけれど、それでも私も週に何度かは全力で走ったり砲丸を投げたりした。
他人との干渉が不得手で、細かな意図を読むことができず、チームプレイは大いに苦手だった私にとって、ひとりで身体を動かすことは気持ちよかった。動いている間はその行動にのみ集中できた。
どこまでも内向的だった私の世界は、運動という言語によってすこしだけ外に開かれた。下校途中にコンビニの駐車場で買い食いする悪友もできた。私の当時のやんちゃごとはその程度で、酒煙草に興じるクラスメイトを横目に見ながら、優等生を演じていた。
交流があれば衝突もあり、というより私が一方的に押されていたのだが、からかいやいじめに近いことも大いにあった。身体的な特徴をからかわれたときは、それは嫌で仕方なかった。良くも悪くもむき出しの環境だった。
勉強と運動と痛みとで、私の中学校生活は形容できる。
このころは絵を描かなかった。自分の世界を構築するより、自分でない世界のほうに関心が向いていた時期だったと思う。

高校生となり、それまでとは違う大人数での学校生活となり、私は大いに苦しかった。
スクールカーストというものが存在するとしたら、私はかなり低いところにいただろう。運動部で明るく、さらに成績優秀だったクラスの男子を、なんでこうも私と違うのだという嫉妬と、諦めをもって、休み時間には誰とも交わらず突っ伏して寝ていた。
このころの生活で変化があったとすれば、自分の意思で部活動をしていたことだ。今思えばアニメにでもなりそうな内容だが、二十年近く休眠状態であったワンダーフォーゲル部を、仲間や先輩とともに再興した。
部活を通して、私は登山の魅力を知った。知らない世界を自分の足をもって開拓していく感覚、陸上にも通じる登るという心地よい辛さ、山頂での見晴らし、下山したときの安心感と飲み物のおいしさ。人生を捧げるといった風にはとてもならなかったけれど、それは私にとってとても大きな存在になった。

他者への関心が、対話や交流から内省へと向かった。高校一年の夏に、長くやめていた絵をふたたび描き始めた。
中学校が男子校だったこともあり、当時は異性としての関心が同性にあった。私は理想の少年を描いた。ガタイの良い男性的なそれでなく、中性的な顔立ちをした可愛い少年だ。月に一度ほど、A4のコピー用紙に、シャープペンと色鉛筆で思い描いた少年とシチュエーションを描いた。
高校二年になって、こんどは足繫く部活で通っていた奥多摩にちなむキャラクターをつくり、4コマ漫画を描き始めた。ときに棒人間のような私自身を登場させ、そのキャラクターと対話させた。少年への関心は少女への関心になった。いまでも私は、少女を描くときにその中性性を自認している。
半年も漫画のようなものを描くと、それなりに絵が上達していった。日常のつまらなさの中で、その変化が私は嬉しかった。大学入試に向けた受験期間も、勉強もそこそこにイラストを描き続けた。結果、第一志望には落ちて、第二志望の大学にそのまま入った。

誰が言ったのか、人間は思春期までに人格の形成が終わり、あとは死ぬまでその本質は変化しないという論がある。
つまり、今の私は上に記した人格の延長上にある。
どこまで行っても私は内向的で、他者への関心に乏しいところがあり、それよりも自分の構築した世界で遊んでいたいという思いが強い。
それでいてひとりは寂しい。私は見知らぬ人と挨拶をすることが好きだ。見知らぬ人とそれきりの会話を楽しむことが好きだ。登山や旅が好きなのも、没交渉の風潮にある昨今にあって、そのような余地が多く残されている場所だと思うからだ。
けれど、同じ人と深く付き合っていくことが怖いし、億劫だ。付き合いを続けていくと、その人の気に入らない部分が見えて、それが勝手に増大されていってしまう。現にいまも、古くからの友人の、自分の描いたイラストに対する感想が引っ掛かって、不信感を抑えられずにいる。
思い通りにいかない湧いてくる感情や、ここ数年尾を引いている腰痛や、そのような毎日の中で、私の身体や感情は私のものでなく、どこか私でない場所から来たものではないかと思っている。小さいころから存在した、ひどく酔ったときやどうしようもなく辛いとき、もう一人の自分が私を見ているような感覚を、いまはそう解釈している。

それでは、私とはなんだろう?
人間について考えるよりも、私は私について考えている。
そのような「つまらない」事を考えてもう何年になるだろう。

いまでも私は漫画とイラストを描いている。ここまで長く続けられたことは、その幸運に感謝するほかはない。
絵を仕事にした、とは未だ声を大にして言えないけれど、道の上には立っていると信じていたい。


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前(2020年)記事の、「本題」とはいったい何だったのだろう。忘れてしまった。
まあ、忘れるような内容だったということだ。

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